2014 年 57 巻 3 号 p. 199-203
雑誌『Science』は1972年に「オルテガ仮説」というタイトルをもつ論文を掲載した1)。著者はジョナサン・R・コールとステファン・コール(以下,コール&コール)という科学社会学の研究者であった。ついでにいえば,2人は兄弟でもあった。
コール&コールのいう「オルテガ仮説」とは何を指すのか。それは20世紀前半に活躍したスペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883-1955年)がその著書『大衆の反逆』(1930年)で示した主張――第12章「『専門主義』の野蛮性」第11パラグラフ――から導いたものであった2)。まず,そのテキストをみよう。
「ここで,次のような否定しがたい事実の奇怪さを強調しておく必要がある。つまり実験科学の発展は,その大部分が驚くほど凡庸な人間,凡庸以下でさえある人間の働きによって進められたということである。すなわち,今日の文明の根源であり象徴である近代科学は,知的に特にすぐれていない者をも歓迎し,そういう人がりっぱな仕事をすることを可能にしているのだ。……こういうわけで大部分の科学者は,巣箱の蜂窩(ほうか)にいる蜂のように,あるいは小部屋に入った火夫のように実験室の小部屋に閉じこもったまま,科学の全般的進歩を後押ししているのである」(桑名一博訳)
コール&コールは上記の主張を次のようにまとめ,それを「オルテガ仮説」と呼んだ。
「平均的な科学者は,かれらは相対的にはこれといった野心をもたずに働くのであるが,その個々人は小さい研究成果を示すにとどまる。だが,平均的な科学者の大集団によってなされる小さい研究成果の集積なしには,真に刺激的な科学者によるブレークスルーは生じないだろう」
つまりコール&コールのいうオルテガ仮説とは,科学研究における大衆参加に注目するものであった。
コール&コール論文には次のようなサブタイトルもあった。
「引用分析によれば,少数の科学者のみが科学の発展に寄与している」
これはエリート主役論である。とすれば,このサブタイトルはタイトルのオルテガ仮説,つまり大衆参加論とは別の主張をしており,したがって,この論文のサブタイトルとタイトルとは捩(ね)じれた関係にあった。
このサブタイトルは本文の内容を要約したものであった。その本文は調査対象を物理学に選び,被引用度の高い論文がどんな論文を引用しているのか,それを調査したものであった。その結果は「エリートからエリートへ」という引用が高頻度で生じる,と示していた。繰り返すことになるが,これは,科学研究におけるエリート主役論を示していた。
なお,彼らのいうエリートとは,被引用数の高い論文の著者,知名度の高い研究機関のメンバー,学界における高い地位の保持者などを指していた。
つまり,この論文は,そのタイトルで科学者の凡庸化が不可避であると予言し,そのサブタイトルでエリート主義が貫かれるだろうと説いていた。以下,サブタイトルの主張を「歪曲型オルテガ仮説」と呼ぶことにしよう。
コール&コール論文は読みにくい(私のような幼い読み手はみずからの読解力を験されるようでこわい)。オルテガ仮説は誤りと言いながらも,オルテガ仮説にも見るべき点があると示したり,逆にオルテガ仮説への批判――それが歪曲であっても――にも不備があると言ったりしている。さらに,一方でエリートでなくとも重要な仕事ができる専門分野があると指摘し,もう一方で科学者の任務は論文発表のみではない,教育もあれば研究管理もあるだろうと注意している。
だからこの論文のタイトルのみしか見ない読者は,オルテガ仮説なるものの意味を取り違える可能性があった。話をさらにややこしくしていたのは,タイトルの「オルテガ仮説」というジャーゴンがコール&コールの造語であったことにある。
だが,ビブリオメトリクス分野の研究者は素直にコール&コール論文に反応した。いずれも歪曲型オルテガ仮説を追認するものであった。にもかかわらず,これによって「オルテガ仮説」というジャーゴンは評判になった。
コール&コール論文が評判になったのは,それなりの理由がある。それはコール&コールが科学社会学の泰斗ロバート・K・マートンの高弟だったことにある。マートンの回想録3)の索引をみると,コール&コールの参照数は,トーマス・クーン(パラダイム論の主唱者)とジョージ・サートン(科学史家)には及ばないが,ユージン・ガーフィールド(「サイエンス・サイテーション・インデックス」の開発者),デレック・J・デ・ソラ・プライス(『リトル・サイエンス、ビッグ・サイエンス』の著者),カール・ポパー(科学哲学者)などを超えている。コール&コールは歪曲型オルテガ仮説――エリートからエリートへ――の効用を享受したことになる。この効用を彼ら自身は「ハロー効果」と呼んでいる。
このあと,ハロー効果を一般化して,「ニュートン仮説」と呼ぶ研究者が現れる。これはアイザック・ニュートンのものとされる次の名言を踏まえたものであった。
「私が遠くを見ることができたのは,巨人の肩に立つことによってである」
ニュートン仮説とは,ここにいう「巨人」を「エリート」に置き換える理解を指していた。「巨人の肩の上」というアフォリズムであるが,その出自は実はニュートンではない。このテキストはまず12世紀のシャルトルのベルナールに現れ,このあと多くの知識人に引用され,その連鎖の28番目にニュートンが現れる。この考証をしたのはマートンであった。かれはこの引用年表をニュートンのあとにも延ばし,途中にクロード・ベルナール,ジョン・スチュアート・ミル,フリ-ドリッヒ・エンゲルスなどの名前を列挙しつつ,ニュートン後13番目になんと自分の名前を加えている。マートンが自分の名前を引用の連鎖に組み込んだのは,彼が,その著書『巨人の肩の上に』によって,上記の考証を示したからである4)。
『大衆の反逆』は複雑な構成をもっていた。それは,一方では大衆の台頭を指摘しつつも,他方ではエリートの存在をよしとする啓蒙(けいもう)主義的な理念に理解を示していた。その第1章に次のような記述がある。
「社会というものはつねに,少数者と大衆という二つの要素からなるダイナミックな統一体である。少数者とは,特別な資質をそなえた個人,もしくはそうした個人からなる集団であり,大衆とは,特別な資質をそなえない人びとの総体である」(桑名一博訳)
ここにみられる「少数者」そして「特別な資質をそなえた個人」が歪曲型オルテガ仮説とオルテガ仮説誤読論(後述)のいう「エリート」となる。また「大衆」そして「特別な資質をそなえない人びと」がオルテガ仮説のいう「凡庸な科学者」ということになる。なお,サヴァ=コヴァーチュ(後述)の注によれば,『大衆の反逆』出版の時点においては,スペイン語に「エリート」という言葉はなかった。
オルテガは第12章において次のようにも示している。
「専門家は知者ではない。というのは,自分の専門以外のことをまったく何も知らないからである。と言って,無知な人間でもない。なぜなら,彼は『科学者』であり,彼が専門にしている宇宙の小部分についてはたいへんよく知っているからだ」(桑名一博訳)
このように,オルテガはエリートと大衆の双方に目配りした知識人であった。オルテガは,科学研究における専門化,断片化という事実認識を示してはいたが,それはこの認識に対する懸念であり,それをよしとする意見ではなかった。
以下,上記の理解を「原理主義的オルテガ仮説」と呼ぼう。この視点でみると,コール&コール論文は,そのタイトルでオルテガの大衆参加論を支持し,そのサブタイトルと本文でオルテガのエリート主役論を確認したことになる。
ここに新しい装いをもつ反コール&コール論文が現れた。2004年,『Journal of Information Science』に掲載された「偽りの『オルテガ仮説』」という事例研究である5)。著者はハンガリー議会図書館のエンドレ・サヴァ=コヴァーチュであった。そもそもオルテガ仮説自体がでっちあげであると,彼は言ったのである。この点,彼は原理主義者であった。
その要点は,コール&コールによるオルテガの引用には作為があり,くわえてオルテガのエリート原理について誤読があるというものであった。これを「オルテガ仮説誤読論」と呼ぼう。
引用における作為とは何を指すのか。コール&コールはオルテガの原著の第12章第10パラグラフから自説に都合のよい部分のみを抽出していた。このために5つの文章が省かれていた。しかもコール&コールは,上記の引用にあたり,いくつかのキーワードを差し替えていた。たとえば「知的に凡庸な人間」を「平均的な科学者」としていた(上記の第10パラグラフは実は第11パラグラフである――厳しい批判者にも見落としがあった)。
サヴァ=コヴァーチュはオルテガのエリート観に与(くみ)した。ただし,そのエリート観は質的な概念であり,それを量的な概念――引用数――としては定義できない,とコール&コールを批判した。くわえて,引用分析は擬似科学であるとまで酷評していた。
皮肉なことに,サヴァ=コヴァーチュのコール&コール批判は,結果として,コール&コール論文のタイトルの誤りは指摘できたものの,そのサブタイトルつまり本文の結論を支持するものとなった。
サヴァ=コヴァーチュ論文はコール&コール論文を批判したことで,オルテガ仮説の1つの解釈――エリート主役論――として,それなりに引用されるようになった6),7)。
オルテガは,すでに20世紀初頭において,卓抜な科学観を示していた。それは,第1に知的平均人の参加,第2にその数の急速な増加,第3にその質の極端な専門化と断片化,を予告するものであった。この理解は,情報伝達がより迅速,情報量がより過剰になった21世紀初頭になると,誰もが等しく認めるものとなった。
この流れに注目したビブリオメトリクスの研究者がいた。それはジョン・P・A・イオアニーディスであり,その主張は「ほとんどの公開された研究成果が偽りである理由」という論文として,2005年,『PLOS Medicine』に発表された8)。
イオアニーディスは次のように示した。研究成果の数が増えるほど,それらが他の研究者によって検証される機会は少なくなる。特に,研究段階が初期の分野であるほど,また競争環境が激しい分野であるほど,異論や反論の数も多くなり,検証されないままに残される研究成果が増える。検証されない論文には誤りが含まれる機会が増えるだろう。これを「オルテガ仮説不可知論」と呼ぼう。
イオアニーディスの論文は数理的かつエレガントなものである。だが,そのタイトルによって「クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った」という類の論文になってしまった。ビブリオメトリクスという方法は自己言及的な言説を導きやすいのかもしれない。
イオアニーディスは自分の発見を「プロテウス現象」と呼んでいる。プロテウスは変幻自在の存在であり,このためにアクセスしにくい予言者であった。なお,イオアニーディスはコール&コールもサヴァ=コヴァーチュも引用してはいないが,イオアニーディスの引用者の中にはコール&コールやサヴァ=コヴァーチュを引用している者もいる。
ここで「サイエンス・ウォーズ」という事件を想起する人もいるだろう。「ウォーズ」といったのは,ある論文が物理学者と社会学者との間に争いを引き起こしたからである。ここで前者は啓蒙主義的な合理主義をよしとし,後者は認識論的・文化的な相対主義に与したのであった。
1996年,物理学者のアラン・ソーカルはカルチュラル・スタディ分野のコア・ジャーナル『Social Text』に「境界を侵犯すること」という論文を発表した。これが双方の間に争いを生じさせた9)。問題は,両者が引用に関する共通の理解をもたないことにあった10)。
ソーカルはここにつけ込みパロディ論文を書いたのであった。その引用文献は219件にのぼったが,いずれも実在し,かつその引用は正確であった。だが,その狙いはカルチュラル・スタディという専門分野の研究手法をからかうことにあった。
引用は多義的な機能をもっている11)。それは,装飾,儀礼的敬意,先取権の請求,利益の提供,説得の道具,正当化,新規性の証明,主要業績の提示,最新情報の提示などにわたる。
ただし,いずれにせよ,巨人の肩に乗るためには,引用者と被引用者とが,つまり書き手と読み手とが,情報を共有していなければならない。この点,コール&コール論文は誰でもアクセスできるオルテガのテキストを踏まえていた。
コール&コール論文は,凡庸な研究者にもエリート研究者にも刺激を与えた。それはオルテガ仮説肯定論,オルテガ仮説歪曲論,オルテガ仮説誤読論,オルテガ仮説不可知論,と多様な後続研究を導いた。
したがって,この論文は狭くはあるが新しい研究課題を設けたことになる。同時にこれによってさまざまの引用を引き出し,みずからの地位を高めることもできた。とすれば,コール&コール論文は第一級のパロディ論文であった,とも読める。
いや,ちょっと待って。あわてて付け加えれば,私はコール&コール論文とそれに続く論文を誤読してきたのかもしれない。